
「①インドぶらり旅」
5月1日から延岡の夕刊デイリー新聞社に連載
①「インドぶらり旅」
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「世界遺産タージマハル」
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「インドに行ってみない」「インドねぇ」「好きになる人と、嫌いになる人に分かれるらしいよ。中間はいないんだって」「面白そうじゃない」と話はするするまとまり、早速、旅支度を始めると、コロナ蔓延で海外渡航便が全て欠航になった5年前。
僕は延岡に若い頃6年ほど住んでおり、横綱大鵬の45連勝を止めた小結羽黒岩が白星を挙げると花火が上がったのを覚えている。
そして偶然にも、ご当地出身、若かりし頃の立行事木村庄之助さんの相撲甚句を、ちゃんこ屋さんで聞いた。
また夕刊デイリー新聞社から広告依頼をよく受けており、琴恵光関の似顔絵を何度も出しています。
少しだけ延岡とは、ゆかりがあるのでございます。
「そろそろいいんじゃない。インド」。三輪代表が「誓いの扉」をノックした。
代表は常に有言実行するお方だ。コロナを恐れた2年目に「コロナをぶっ飛ばせ」のピンバッジを作ってコロナ啓発運動をしたり、感染症法上の2類から5類に格下げになった時には日向市駅前あくがれ広場で「コロナ供養祭」を開催し、ベートーベン作曲交響曲第九番の替え歌を作って200人でコロナ撲滅を合唱したのであります。
インドの旅には6人が賛同した。「光平ちゃん、頼みがあるんだけど、ひげを伸ばしてくれないかな、責任は僕が取るから、全部僕のせいにしていいから、お願い」。代表に何度も頼まれた。
全員ひげを伸ばしてインド人になりきり入国したいそうだ。
しかし僕も仕事をしており、接客にあたり無精ひげは好印象に欠ける。
そうだ、マスクをすればいい。出発の2週間前からマスクの下にひげを忍ばせた。
それにしても周りにインドに行った人がいない。最小限のネット情報でインドに臨むのでした。
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首都デリーまでは8時間。後ろの席が空いていれば背もたれを倒すこともできようが、ほぼ垂直に背筋を伸ばし睡眠するのは難しい。
ワイン片手のビデオ鑑賞は、まぶたを持ち上げる筋肉の限界まで続いた。
「あと1時間で首都デリーに到着いたします」とアナウンスが流れ、丸い小窓から雲の下をのぞき込む。「とうとう来たな」。
初めて入る店の「のれん」をくぐる時のどきどき感。
こわもてのひげ男爵が現れるのか。
はたまた、サリーをまとったインド小町が笑顔で出迎えてくれるのか。
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到着すると、最初に荷物を受け取るものだが、広いターミナルにそれは見当たらない。
きょろきょろしていると、太眉マリオひげインド顔の青年が「日本人は向こう、向こう」と言っているのだろう、多分。指先の方角に入国審査ゲートが見えた。
ありがたいことに長い列はできていない。
様子がおかしいのは、審査官が狭いデスクに研修生を詰め込み体験学習させていたことだ。
まるでゲームでもしているかのようにパソコンに向かい、生徒も教官も和気あいあいと、遊んでいるようにしか見えない。
言葉が通じれば注意でもできようが、なすがままに身を委ねると、たった1㍍の入国ゲートを通過するのに、60分を要したのでございます。
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ガイドさんは、口ひげを蓄えターバンを巻いた人物を想像していたが、そのどちらでもない老け顔のおじさんだ。年を尋ねると、ガイドのマールは僕よりずっと下だった。
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「ガイドのマールは55歳だった」
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