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2016年07月02日

#31『遊星からの物体X』




宇宙からやってきた物体Xはいかなる生命体にも擬態することができる!そんなエイリアンに襲われた北極基地のクルーたちの攻防戦を描くSFスリラーの大傑作。擬態というSF的なギミック、密室サスペンスとしての完成度、そして異形なものをSFXで見事に描いた今なお観る者に驚きを与える作品。

 

■あらすじ

北極の観測基地に犬がやってくる。その犬こそ擬態したエイリアン“物体X”だった。このエイリアンは食した生物に変態できるという能力を持ち合わせていることが判明し、12人の内の誰かが既にエイリアンの餌食になっていた。一体誰が物体Xなのか。雪で閉ざされた基地でエイリアンとの頭脳戦、そして攻防戦が始まる…。

 

■失われた気持ち悪さが冷凍保存

見どころは本当にたくさんあるが、今回は特殊効果、密室という設定、そして血液検査のシーンについて、の三つに絞りましょう。

 


まず、特殊効果。つまりはSFX

 

“物体X”は擬態している時は普通のワンコや人間なんだけど、化けの皮が剥げた時の気持ち悪さ、おどろおどろしさは想像を超える。これまでの映画で描かれたグロさとは一段違った感じが凄くて、地球で育った生き物じゃない!ってビジュアルでわかるインパクトは筆舌に尽くしがたいね。ありえないところに人の顔があるってビジュアルなどは漫画「寄生獣」に影響を与えているでしょうなーって指摘している人は多くいらっしゃいますが、『ターミネーター2』のT-1000がショットガンをくらった時の造形も恐らく元ネタこれでしょうな。というかスタッフ一緒ですからね(スタン・ウィンストン:後に『エイリアン2』『ジュラシック・パーク』などにも参加してアカデミー賞受賞しています)。

 

この見事なSFXを担当したのは当時22歳だったロブ・ボーティン。若干22歳の若者がこんなおどろおどろしい特撮を仕切っていたのにまず衝撃を受けます。監督のジョン・カーペンターはクリーチャーがチャチくてこの映画が笑いものにされるのだけは嫌だった、と述べていて、彼は『エイリアン』のクリーチャー造形でも「ラストシーンは人が入ってるんでしょ。要は着ぐるみだよね。それは勘弁願いたいわー」ってなぐらいハードルは高かった。

 

しかし、それをロブは大きく超えた。人間から異形の形に変態する気持ち悪さはグロに耐性がある人が観てもゾクゾクすること請け合いだ!カーペンターは彼のこの仕事っぷりに大満足だが、ぜいたくな苦言を呈した。

 

「ちょっとリアル過ぎるよね」

 

存在しない生き物なのに。しかしこれはCGではまず出せない!だってそこに本当にあったからね。失われた気持ち悪さがこの映画には永久凍土の形で保存されております。

 

■そして誰も信じられなくなった

クリーチャー造形の見事さだけで大満足なのだが、この映画はストーリーや演出面もかなり凄い。

 

一体誰が物体Xなのか?と疑心暗鬼になっていくパラノイア的な雰囲気。

 

これって、推理小説におけるフーダニット、つまりは誰が犯人なのか?というサスペンスと全く一緒なんですね。しかも場所が逃げることのできない閉ざされた空間、という設定は間違いなくアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』だ。

 

『そして誰もいなくなった』は孤島に招待された10人の客が次々の殺されていく推理小説。孤島ゆえに脱出することもできず、10人という限られた人数の中に絶対に犯人がいるというサスペンスとして抜群の舞台設定を発明した画期的な作品だ。

 

今作は原作の「影が行く」のパラノイア的な雰囲気、つまり人間同士の信頼関係が壊れてゆく怖さと、「そして誰もいなくなった」の設定の仕方を見事にミックスさせ、その上トラウマもののクリーチャーを出させるというかなりてんこ盛りな映画だ。

 

■血液検査が象徴しているもの

物体Xは熱に弱く、そして液状になっても生命活動を維持できる、ということで血液検査が実行される。

 

この映画のハイライトシーンの一つで一人ひとりの名前が書かれたシャーレを一つ一つみんなの前で検査するシーンは映画史に残る名場面だ。

 

だけどこれ、ただ誰が物体Xなのか?を突き止めるシーンなのか?

 

血液検査の場面は原作小説にもあるが、これが撮られた1982年には違った意味をそこに持ってしまった。

 

それはAIDSだ。

 

1981年、アメリカで免疫機能を破壊する新しい病気が男性の同性愛者の間で流行していると報じられ、1982年にAIDSと名付けられた。

 

AIDSは血液感染によって感染が広がるので、血液によって陽性か陰性か検査できる。違う言い方をすると、見かけでは判断できない。

 

それはまさに物体Xと一緒だ。

 

ホラーというのはその時代時代の恐怖を無意識のうちに盛り込まれるという傾向がある。というより、後の世に残ったり、改めて見直すと当時の時代背景を作り手たちが意図していなくても反映していることがある。

 

この映画の血液検査のシーンは1982年当時アメリカで広がりつつある、初めて人間が遭遇した未知の病気に対する恐怖が盛り込まれている。そして、それはオーディオコメンタリーにてカート・ラッセル自身もこのシーンを観ている際にAIDSについて言及している。

 

■最後のひと言:外見が信じられないという恐怖

この作品は公開当時興行的に失敗した。

 

それは同時期に公開された『E.T.』のせいだったと考えらている。スタッフたちも「当時、観客は友好的な方のエイリアンを求めていたんだ」とボヤいている。

 

さらに、この映画と同じ日1982年の625日に『ブレードランナー』も公開された。この作品も公開当時興行的にはあまり上手くいかなかったSF映画だ。

 

両作品に共通するのは“人の姿をしているが、人ではないもの”が物語の重要なキーになっている点だ。今作品では恐怖の対象として描かれ、『ブレードランナー』ではレプリカントを通して人間の存在とは何か?人を人と至らしめている魂とはなにか?という哲学的テーマに踏み込んだ。

 

両作品ともダークな世界観で爽快感を感じられる作品ではないが、今現在では共にSF映画史の中で外すことのできない重要作品となっている。

 

見かけに現れない真実に対して人間は聖書の時代から恐怖を感じていた。それは時代時代によって背信だったり、共産主義だったり、AIDSだったりする。そしてこの恐怖はいつの時代でもきっと人々を震え上がらせるだろう。普遍的な恐怖を掴み、人類が新たに直面する脅威を擬態させて描いた。

 

SFXによる素晴らしいキャラクターの造形、推理小説からものの見事にサスペンスを高める設定を抽出し、人が人を信じられなくなる信頼関係の崩壊、そして根源的な人間の恐怖心が詰まっている。この『遊星からの物体X(原題:The Thing)は単なるSFスリラーではなく、他とは違う何か、つまりSomethingだ。


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