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2017年05月20日

#47『メッセージ』

地球上の至る所に出現した宇宙人と、言語学者ルイーズが彼らとの意思疎通をするために言語でのやり取りを試みるが、そこにはこれまでの概念を覆すある考え方が提示される。幾多もの賞を獲得したテッド・チャン原作の中編「あなたの人生の物語」の映像化で、発想によって言語と科学を結婚させ、そして愛という感情に到達する傑作。

 



※ネタバレ全開です。観ていない人は鑑賞後どうぞ。それゆえ、あらすじは省きます。

 

■未来の思い出

“思考は言語によって形成される”という理論に立脚したうえで、主人公ルイーズは宇宙人ヘプタポッドの言語を習得することによって、世界の現象を彼らの視点から思考できる能力を持つようになります。その能力とは未来を見ることができること。そしてそれは予知ではありません。ここ結構大事です。それはまた後に説明します。まずは、その未来を見る能力とはどういうことなのかを疑似体験させる映像的な演出について考えてみます。

 

ルイージが宇宙人ヘプタポッドとの接触を試み、彼らの言語を少しずつ解き明かす過程で現在とは関係のない映像が挟み込まれます。女の子と遊んだり、おしゃべりしたり、死んでいる姿をみたり…あれはルイーズが未来で産む子供ハンナであるということが結末で明かされるのですが、ハッとしたのはカメラの揺れですね。

 

先日『ヒメアノ~ル』のレビューで記しましたが、カメラの揺れによって登場人物の心情や物語のテンションを表現することがありますが、恐らく今作でもやっています。カメラが揺れるのはルイーズが未来を観ている時です。ではこの揺れは何を演出しているんでしょうか。

 

ちなみに、原作小説だと未来を見ているパートは一行空欄があり、文体もあなた(彼女の子供)に聞かせる語り口になっているので明確に分けられています。そして未来は全然脈絡がないように挟み込まれているようにみえますが、実は現実で起きた出来事とささやかにリンクしていました。

 

たとえば、“ノンサムゼロゲーム”(非ゼロ和ゲーム)という言葉を耳にしたら、それに繋がる未来のヴィジョンが見えるのを原作小説でも描いていましたが、これは非常に映像化するにあたって相性はいいし、私たちも記憶を呼び覚ます時はそんな感じだと思います。匂いを嗅いだり、音楽を聴いた瞬間に過去の記憶のライブラリーからスッ抜き出してその時の思い出が頭に浮かぶ。それをルイーズは未来でできるようになって、やがてそれを意識的にできるようなる。未来の思い出を今見ることが。

 

ちなみに、最後のルイーズとシャン将軍の電話での会話は字幕が表示されませんが、あれは「戦争には勝者などなく、ただ未亡人が残るのみ」と言っているそうです。“ノンサムゼロゲーム”(非ゼロ和ゲーム)という勝者のみができあがる駆け引きに失敗した後、シャン将軍を説得した言葉が亡くなった奥さんの「戦争をしたら勝者などいない」という言葉であるところも上手いですね。

 

さて、カメラの揺れですが観賞中は不確定な未来を示しているのかな?と考えていました。しかし、そうではなく、あのカメラ揺れはただ観客にハッキリと「このシーンは今とは違う時間のシーンですよ」ということを示すための演出だったんじゃないかな、というのが私の解釈です。

 

なぜなら「不確定な未来」という考えが恐らくこの映画と原作のルイーズの視点からは到達しない目的地だからです。

 

■欠落した意志

普通、ほとんどの未来は不確定なもので今の行動が未来を変えることができるという考え方をします。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』のラストでもドクが「未来は白紙である」というメッセージをマーティと観客に示し、よりよい未来を創る歩みや努力をすれば未来は変えられると諭されて映画は終わります。

 

この物語はその考え方を覆します。

 

ここは解釈の余地があるので、あくまで私個人の考えで少し悲観的な見方になります。

 

主人公ルイーズはエイリアンの言語を習得しました。その代償としてあるものを失います。それは自由意志です。

 

自由意志とはイタリアの哲学者ピコ=デラ=ミランドラが提唱したもので、神の権威から解放された自由な生き方に人間の尊厳があり、自由意志によって自らを作り上げていく無限の可能性を我々人間は持っているというものです。

 

ルイーズは未来が見えるようになりました。しかし、彼女が見ている未来では夫と離婚し、産んだ子供も何らかの原因で若くして亡くなるのを起きる前から知ってしまいます。原作だと崖から落ちたことが原因となっており、映画版では恐らく不治の病のようなものが死因のようでした。

 

ここで普通はこう考えるわけです。未来に起きることを知っているのなら、その未来を避けるために今そうならないよう行動すればいいと。しかし、ルイーズはそれをしません。なぜなら彼女が見ている未来は確定した未来だからです。

 

これは映画ではあまり説明がありませんでしたが、原作を読めばハッキリと書いています。未来を知る能力を習得したことよって、その未来を避けるための行動、決められた運命に贖う行為、つまりルイーズは自由意志が欠落したことが。つまり、彼女は未来に起きたことを知った上で、その未来になるよう行動せざる得ないと。

 

映画のラスト、ルイーズと将来の旦那イアンと抱き合いますがどこか不安な表情も漂わせます。それはこれから来る幸せな時間と、やがて来る悲劇の時を知っていて、なおかつそれを避ける選択をしないことを彼女は知っているからだと思います。“できない”ではなく“しない”。もはや失われているからやろうとする意志すらもないと原作では示しています。

 

■ヘプタポッドが欲しかったもの

決められた過程をただ辿るだけの人生なのか、それはなんかつまらなさそう、どこか可哀想と思うかもしれません。ただ、それは私たち側からの感情です。この事も人間が生み出した言語によって思考している以上そう感じるのが普通だと思いますが、ルイーズはそれを超越しているんですよね。当の本人はそういうものだと受け止めています。悟りに近いのかもしれません。『ウォッチメン』のDr.マンハッタンの能力にも近い。つまり、彼らの思考を習得してしまったが為に選択するという意志を失ってしまいました。

 

しかし、彼女には大事なものが残されています。それは感情です。

 

自由意志と感情は密接に繋がっていると考えていますが、もし自由意志だけ失い感情だけが自分に残されたとしたら、という非常に稀有なケース、一種の思考実験をこの物語では描かれていると私は考えています。

 

3000年後、ヘプタポッドは人類を救われる未来を見たから地球にやってきたわけですが、どうして彼らは私たちの力が必要になったのか。恐らく、彼らには持っていないものが後の未来で重要な意味を持つようになるからかな、と想像しています。それは人間の感情です。ヘプタポッドにも感情はあるのかもしれませんが、それは人間のものとは異なります。この映画の立脚している理論上だと言語が違うから、感情も違う。

 

彼らは人間の感情が必要だったのかもしれません。そしてルイーズは史上初めて、人間の感情とヘプタポッドの概念を取り入れたハイブリッドな存在となりました。そんな彼女はこれからどのような視点で自分の人生を認識し続けるのか、を追体験させてくれる映画でした。果たして自由意志を失くしてしまった彼女は幸せなのか、不幸なのか。答えはそんなに単純ではなく、たとえ、そのような大きな運命や能力を獲得し、既に知覚している未来の幸福、不幸に贖えなくとも、自分の子供と出遭うことが彼女にとっては何よりも尊いものである、ということを描いていると感じます。

 

■到着地点を知っている感覚を味わう方法

さて、この映画の主人公ルイーズのように未来を知った上で現在を認識する。つまり、“予め到達地点を知った上で現在の時間を過ごす”ことを実は我々はできます。それもすぐに、簡単に。そして多くの方々が既にもうやっています。

 

それは、一度観た物語をもう一度観直せばいいんです。

 

映画、ドラマ、小説、落語、なんでもいいです。一度最後まで観たのならば、もう結末を知っています。その上で最初から読む。もしくは気に入った箇所を再び味わう。すると、その地点を味わいながら、貴方の頭にはこの物語の先で起きる未来を踏まえた上で体験をすることができるのです。

 

この映画も二度三度と観た方がより仕掛けられたトリックや演出、伏線にハッとさせられて一度目とは違った感覚を味わえると思います。

 

しかし、この映画の面白い仕掛けは一度目の観賞から実はルイーズが習得する感覚を観客に既に与えているんです。

 

それはオープニング。娘と遊んでいるルイーズの姿、そして病院のベッドで眠っている女の子に悲しむルイーズの姿が描かれた後に、舞台はことの始まりのシーンに移ります。

 

ではオープニングの映像は一体誰から観たヴィジョンなのでしょうか?

 

恐らくルイーズではありません。この映画、ほとんどのシーンでルイーズが出ていますが何カ所かだけ彼女が不在のシーンがあります。なのでこの映画全体が彼女の回想であるというトリックは成り立ちません。ではあのオープニング映像は誰の視点なのか。

 

観客のあなたです。

 

もし、あなたがヘプタポッドの言語を習得していたとしたら…という仮定の元に作り上げられた物語の構成だとしたらオープニングの映像は未来を見ることができる能力をもった観客のヴィジョンであるという説明も成り立つんです。

 

監督自身、この物語はルイーズを通して描いて語られた物語であるとインタビューでこたえてはいますが、このような始まり方をする構成にしたことによって、ルイーズという人間の到達する地点をもう既に知った者がこの物語を知覚している体験ができる、という映画になっていると解釈ができ、私はこの考え方を支持します。まるでルイーズが長方形上のスクリーン越しに、ヘクタポッド達との交流をしながら未来が見えてくるように、我々観客も長方形上のスクリーンの先に様々なものを見ているんです。

 

そうすると、一度経験した物語へ再度おとずれる時にこれまでと違った感覚を知ることができるから。私はヘプタポッドの言語を習得した者であると一時的にも感じられる。それはまるで結末を知っていても変えることができない、抵抗できないことを知っていつつも、自分の好きなキャラクターや言葉に出会うために身をゆだねることが、ルイーズの気持ちに近い所に行く気がするからです。

 

最後の一言

こうゆう"時の概念"を扱う作品はいいですね。レビュー内でも『BTTF』『ウォッチメン』を取り上げましたが、『ランゴリアーズ』という映画は過去の解釈が凄く面白くて好きです。あとこの映画鑑賞後『ビルとテッドの大冒険』も観るといいかもですね。

 

先日公開された『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』もそうですが、物凄くスケールのでかい話をしているのに行き着く地点が個人的な感情であるというのはやはりどこか自分たちと繋がっている確かな感覚があっていいですね。

 

主人公が自分とは大きくかけ離れた能力を持っていようともそこに人間の感情があるかどうかで私たちはその物語を享受できます。

 

確かに、何をして、何を成し遂げたか、も人生では大きな意味を持つと思います。だけど、その根底には感情があります。

 

必死に努力したり、財を成したり、好きな人と手を繋ぐことにも意味はあるかもしれない。いや、下手したら意味なんてないのかも。しかし、それよりも前に自分の感情とちゃんと繋がること。人生の意味なんかよりも何を感じ、考え、伝えるのか。目の前に広がる光景や出来事、そして人々にちゃんと自分の感情をぶつけること。それこそが、あなたの人生の物語を味わうことに到達するのではないかと思うの。


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